2006.11.14

紅葉2題

その1
日光の半月山から足尾へ下りました。
混雑を覚悟していたイロハ坂も平日の早い時間帯だったためスイスイ。(^_^)v
中禅寺湖第一駐車場から半月山へと登りました。
Nantaisan 半月山の展望台から男体山が丸見え。ただし少し雲が多かった。(-_-;)
テレビでは見頃といっていたのにイロハ坂の紅葉も中禅寺湖の紅葉もイマイチの感じ出した。
半月山から半月峠へ。峠から足尾へは長い下りです。
昔は足尾から中禅寺湖へのメインルートだったということですが、少々荒れ気味の路が延々と下っています。
特に危険と言うほどではありませんが足下に注意が必要です。
もう数年もすると廃道になる運命かもしれません。
途中、白骨化した鹿の骨や角を見かけました。
足尾銅山が盛んに掘られていたころは、この路も殷賑を極めていたようです。
古い石組みや茶屋跡が残っています。深沢の渓谷沿いですから広い景観は望めません。
Hukazwa しかし随所に見事な紅葉を見ることができました。
大きな堰堤を過ぎ、丸太を2本渡しただけの丸木橋をおっかなびっくりで渡ると砂利道になり足尾町南橋のバス停まですぐでした。

その2
馬老山に行きました。えっ、馬老山ってどこ?
栃木県北西部の栗山村にある標高1,337mの小さい山です。
川治温泉から県道23号を西へ進むと、何と「黒部ダム」があります。
聞いたような名前ですね。さらに上流へ行くと支流土呂部川の土呂部ダムに着きます。
Torobudamu ダムの手前に車数台の駐車可能な空き地がありました。
ここに車を置いて登ります。
登山口はありません。もちろん道標なぞありません。
適当なところから適当に取り付きます。(^o^)
ものすごく急な杉林の斜面を強引に高い方へとよじ登りました。
かすかな踏み跡らしいものを見つけ巻き気味に南へ行くとやっと尾根の上に取り付くことができました。
あとは尾根を外さないように慎重に高い方へと登ればいいわけです。
下りに迷いそうなので要所々々に目印の赤テープを付けて行きます。
Barouyama 標高1000mから1200m当りが紅葉真っ盛りでしたv(^_^)v

頂上は樹林帯で展望は良くないです。僅かに日光の女峰山小真名子山らしいのが落葉した梢を透して見えました。
下りは迷いやすいので目印の赤テープを回収しながら慎重に下りました。
時間があったので黒部ダムにほど近い栗山温泉四季の湯で一風呂浴びることに。
全山燃ゆる紅葉を眺めながら野天風呂でのんびりと手足を伸ばすという贅沢を味わいました。(*^_^*)
黒部ダムから下流の鬼怒川渓谷はV字渓谷というよりU字渓谷というほうが似つかわしい程の切り立った渓谷です。黄・橙・赤・紅と色とりどりの紅葉に松の緑を添えて、言いようのない美しさでした。筆舌に尽くしがたいとはこのような景観をいうんでしょうね。走っている車内から写真が撮れなかったことが残念でした。(×_×)
遊歩道や休憩所などを整備したらイロハ坂・中禅寺湖真っ青の紅葉狩りスポットになるのではないでしょうか。(^_^)

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2006.11.01

秋山郷

長年の念願が叶って秋山郷に行ってきました。
もう20年以上も前になります。鳥甲山に登って秋山郷を訪れたのは、まだ梅雨が明けきらない時期でした。その時の緑の美しさに、秋はきっと素晴らしい紅葉が見られるものと再訪を思い続けていました。
江戸末期の文人、鈴木牧之の「秋山紀行」の書き出しに「年日頃の念晴さばと信越の境秋山遊歴に杖を曳かんと思い立ち侍りぬ。」とありますが、ケロケロもまさにその心境でした。ただ残念ながら今年の紅葉は進み方が遅く、地元の人の話ではあと一週間ぐらいあとが見頃とのことでした。
Mitamahudo まずは見玉不動尊に参詣しました。秋山紀行には「仁王門をくぐって石段を登ると、右に渓流が落ちていて、岩が無造作に積み重なっている。滝が白く砕け落ちている。古木が茂り陽の光をさえぎっている。」と書いてありますが、本当にその通りの情景です。
江戸時代と変わらない姿が見られるわけです。仁王様に白い紙屑がたくさん貼りついています。白い紙を渓流で濡らし仁王様に投げつけると命中した体の部分の病気が治るということです。でも痔の悪い人はちょっと無理ですね。仁王様に後ろ向きになってくれそうもないので。門前の店でメグスリノを買いました。日本固有の木で煎じて飲めばあらゆる眼病と肝臓に効くそうです。見玉不動尊は特に眼病に霊験あらたかだそうですからね。

Maekurahasi Nakatukawa 次は前倉橋です。新潟の橋50選に選ばれているそうです。岸壁と清流と赤い橋がまさに一幅の絵と言ってもいい景観ですね。この橋の上から見た中津川の紅葉も絶品と言えます。前倉橋からあまり遠くないところに蛇淵の滝があります。
Hebitaki 昔、熊打ちの名人が川にかかった丸木橋を渡って振り返ったところ、それは丸木橋ではなくて大蛇だったとか。ぞっとしますね。蛇淵の滝も紅葉の名所ですが、まだちょっと早かったようです。
次に立ち寄った栃の実館で名物の栃餅を食しました。そう言えば秋山郷には栃の木が多いですね。従って栃餅もあちこちで1個100円ぐらいでバラ売りしていました。小腹が空いたら、ちょっとつまむのに好適です。秋山郷は有数の豪雪地帯です。昨年の大雪の時、ここまで雪が積もりましたというポールが立っていました。積雪5mと言われてもすごいなあという程度の感覚ですが、実際に5mのポールを見ると絶句するほどのすごさです。
Mikurahasi 最後は見倉橋です。ドラマのロケが行われたという吊り橋です。ぐらぐら揺れる吊り橋の上から見る中津川の流れはエメラルドの水に赤、黄、緑の木々が映えて素晴らしいの一言でした。
秋山郷には悲しい歴史があります。江戸時代だけで享保17年(1732)、天明3年、(1783)6年(1786)、7年(1787)、天保4年(1833)と度重なる飢饉に見舞われ、餓死するもの数知れず、ついに全村死に絶えた集落もあったそうです。
秋山郷に行く前に、鈴木牧之の「北越雪譜」「秋山紀行」、辺見じゅんの「新・北越雪譜」などを読んで出かけると、旅の印象がいっそう深まること請け合いです。

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2006.09.09

大内宿 塔のへずり

バスツアーで会津の大内宿塔のへつりに行ってきました。(^_^)
江戸時代に会津若松(福島県)と今市(栃木県)を結ぶ下野街道の宿場町でした。
Ooutisyuku 茅葺きの家が30棟以上残っている集落です。
ほとんどの家が土地の産物や土産物を売ったり、名物の蕎麦を食べさせたりしていて集落全体がテーマパークみたいなところでした。

集落の最奥の子安観音の境内から見下ろす景観が一番気に入りました。

Jijibaba それと、ある店で見た爺婆の人形がすっかり気に入り買ってしまいました。(^_^;)

Tounoheturi 塔のへつりへつりはこの地方の方言だと言っていましたが、あちこちで聞く言葉ですから方言ではないのは?

広辞苑には 

へずる:(古くはヘツル)少し削ってへらす。削り取る。また、かすめ取る。
    上前をはねる。はつる。となっています。

つまり、川の流れが長年の間に削り取って出来た景観ということでしょう。

ここの土産物屋で生きたマムシを売っていました。どうやって持ち帰るのかなあ。(^-^)

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2006.09.04

櫛形山再訪

7月に続いて櫛形山を再訪しました。
期待通りの花・花・花に大満足でした。!(^^)!
櫛形山最高点は樹林の中で展望はありませんが落ち着いた雰囲気のところです。
Marubadakebuki 登り始めて先ずソバナマルバダケブキが現れ、その後も次々におよそ30種類の
花に会えました。

Kusigatahana1 Kusigatahana2 特にマルバダケブキの大群落には圧倒されました。(*^_^*)
カニコウモリコウモリソウサラシナショウマトモエシオガマなど応接のいとまがないくらいの賑やかさでした。
Kusigatahana3 一休みして裸山へ向かいました。
この間もハンゴンソウの大群落をはじめ、マツムシソウキオンタムラソウゴマナなど次々に目を楽しませてくれました。(^_^)v
Kusigatahana4 アヤメ平に下りました。ここもお花畑でした。
7月に登った北尾根を下りました。
レンゲショウマキバナアキギリフシグロセンノウカメバヒキオコシなどがありました。

Hangonsou 途中から平成峡遊歩道を下りました。
数本の滝があり変化に富んだ遊歩道でした。
あとはやまなみの湯で一浴、汗を流してさっぱりしました。

渋滞もなくスムースにかえることが出来ました。(^_^)/

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2006.08.29

蔵王の花 2

二日目は蔵王中央高原のトレッキングです。
ロープウェイ駅終点の鳥兜山からの展望を楽しんだあと、周遊コースを歩きました。
片貝沼までは樹林の中の涼しいところです。
花はほとんどありません。僅かにツクバネソウオオカニコウモリを見かけた程度です。

片貝沼・目玉沼・うつぼ沼と沼巡りです。
うつぼ沼周辺にウツボグサがたくさんありましたが、これが沼の名前の由来なのかどうかは分かりません。(^_-)
Zaouhana3 Zaouhana4 ソバナやエゾシオガマもありました。
ドッコ沼への途中、五郎岳三郎岳にチョイ登りしました。
五郎岳の登路にウメバチソウウツボグサがたくさんありました。
ドッコ沼に立ち寄り、ミヤマシシウド、ネジバナを見ながらスキーゲレンデを登りました。

鳥兜山頂駅に戻って約2時間のトレッキングコースの一周は終わりです。
山麓の蕎麦屋で昼食後、時間が余ったので鴫ガ谷地沼一週の散策コースを歩きました。
標高が低いのでツリフネソウキンミズヒキ程度しか見られませんでした。
シャワーで一汗流し、バスに乗って蔵王のお釜見物に行きました。
Okama 幸にも好天でお釜見物はバッチリでした。(^_^)/
多くの観光客にまじって刈田岳に登りました。
山の天気は変わりやすいと言いますが、このあと突然濃いガスが山を包みました。
ヘッドライトをつけても前がよく見えないくらいの濃霧でした。
この濃霧の襲来がもうちょっと早かったら、お釜が見られなかったでしょう。ラッキー!(^_^)v
でも、帰りの高速道路では途中で25キロの渋滞に巻き込まれました。アンラッキー!(>_<)

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2006.08.27

蔵王の花 1

蔵王に行きました。すっかり観光地になってしまって、山登りとは言えませんが、一応、標高1800mの山です。(^_-)
目的はコマクサなどの花を見ること。
ところが、8月半ば過ぎでは花の季節は終わりに近く、少し期待はずれの感がありました。(-_-;)

第一日目は、熊野岳に登りました。山頂から北蔵王縦走路方面へ少し下った地点に、お目当てのコマクサがチョッピリ残っていました。ヨカッター(^_^)v

Zaouhana1 多かったのは、ミヤマアキノキリンソウ、ヤマハハコ、シロバナトウウチソウです。

そのほかネバリノギラン、エゾオヤマリンドウ、シラネニンジンもありました。

時間的に余裕がありすぎたので、下りついでにいろは沼・観松平を見物しました。
Zaouhana2 地蔵山熊野岳の鞍部からいろは沼までのコースにはヨツバヒヨドリ、エゾシオガマ、ノリウツギ、オニアザミ、イワアカバナがありました。

いろは沼の湿性植物を期待していましたが、こちらはすっかり終わって、僅かにイワショウブ、コバノギボウシが咲き残っている程度でした。(=_=) 

沼にはキンコウカの枯れた花穂がたくさんありました。最盛期には全面が真っ黄色に塗り尽くされていたことでしょう。

観松平は、もっともらしい名前が付けられた老松を見て歩く散策コースです。松より命名した人の発想・想像力に敬意を表しましょう。(^-^)

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2006.06.21

日光・高山とクリンソウ

梅雨の晴れ間に日光の高山に行きました。(^_^)/
竜頭の滝の上の駐車場に車を停めて国道の橋を渡った登山口から登りました。
登山路は新緑が美しく快適でした。
ダケカンバの大木が見事でした。
下山路はかなりの急勾配ですが、路が良く整備されていて危険はありません。
Hanabana 途中、クワガタソウがたくさん咲いていました。(^_^)
熊窪中禅寺湖畔に降り立ち千手が浜クリンソウを見に行きました。
ちょうど見頃でした。

Kurin 赤だけでなく白やピンクや色混じりの花が咲き誇っていて大満足でした。v(^_^)v

Kurinsou 昼食後、歩き足りないというので、西の湖まで散歩しました。
ミズナラハルニレの樹林帯につけられた遊歩道を歩いていると数頭の鹿を見かけました。

そう言えば日光では鹿による食害が問題になっています。
やはりニホンオオカミを絶滅させた付けが回ってきたのでしょうかね。(-_-;)

ところで「西の湖」はニシノウミと読むとばかり思っていたら、道標にはサイノコとローマ字で書いてありました。
サイコまたはサイノコは富士五湖じゃなかったのかなあ(?_?)

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2006.06.13

那須・鬼ヶ面山

那須の鬼ヶ面山オニガツラヤマ)に行きました。
深山湖沼ツ原調整池の間にある低山(標高1262m)です。
前回は雨と藪のため途中で断念して引き返した山です。
今回は好天に恵まれ、藪も刈り払いされていて歩き易く楽なハイキングでした。(^_^)v
深山湖畔にある沼原発電所の展示館から登ります。
深山湖は沼原発電所の貯水池です。
沼原発電所は1973年に運転を開始した揚水式発電所です。
揚水発電所については展示館に詳しい説明があります。
余剰電力で深山湖の水を沼ツ原調整池に汲み上げ、電力需要が多い時間帯にこの水を深山湖に落して発電する仕組みになっています。
Shinryoku 花は少なく期待はずれに終わりましたが、新緑萌え立つ縦走路に
目も心も洗われる思いでした。
沼ツ原湿原は尾瀬をうんと小さくしたような湿原です。
ちょうどザゼンソウの季節でしたが、増水のため折角のザゼンソウも水没していて写真に撮れませんでした。残念!(;_;)
Kimenhana 時間が余ったので那須高原のヤマツツジの群落を見物に行きました。(^o^)
Tutuji こちらはちょうど見頃でしたが、観光客が大勢で駐車場探しが大変でした。(>_<)

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2006.05.21

出石

丹後の小京都と言われる出石に行って来ました。
小京都と言うより豆京都とでも言った方がぴったりするかも知れない小さな町でした。(^_-)
でも小さいからと侮る事なかれです。
Meisyo1 出石城出石神社出石明治館家老屋敷など見所いっぱい、1泊してゆっくり見物したいところです。

Izusijou

Sinkorou

観光客が最初に訪れるところは辰鼓楼でしょう。
明治4年に建てられたそうです。
辰の刻に太鼓を打って時間を知らせていましたが、明治14年に大時計が設置されて現在の姿になったそうです。

何しろ神社仏閣が多いところです。
中でも宗鏡寺沢庵和尚ゆかりの寺として有名です。
大きくはありませんが、しっとりと落ち着いた雰囲気が好もしいお寺でした。
お隣の願成寺の門前の木像のユーモラスな姿にはついカメラを向けたくなります。(^_^)
信州上田から移封された藩主仙石氏が国替えのとき信州そばの職人も同行し、その技法を伝えました。
これが出石皿そばの始まりだそうです。
早速、試食してみました。5枚の小皿に盛り分けたそばを薬味、ねぎ、わさび、卵、山芋などで味あう独特の食べ方をするのが通だそうです。
けっこう美味しかった。(*^_^*)

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2006.05.19

城峰山

埼玉県農林振興センターというお役所?主催の城峰山ハイキングに参加しました。

城峰山は過去3回登っています。今回は一等三角点の展望を期待して4度目の山行きです。

といっても、バスで石間峠まで行ってしまうので歩くのは僅か20分程度、とてもハイキングと言えるような代物ではありません。(^_^;)

頂上に着いて驚きました。立派な展望塔が立っていました。

それに一等三角点の標石も新しくきれいになっているように見えました。

快晴の展望塔上から文字通り360度の大展望が満喫できました。(^_^)/
Yatugatake 日光連山は少し雲がかかっていましたが、赤城山・上州武尊山・越後中ノ岳、谷川連峰の朝日岳・谷川岳・万太郎山・仙ノ倉山・平標山など、榛名山・苗場山・白砂山・本白根山・浅間山と続き、更に西には真っ白な八ヶ岳と特異な山容の両神山十文字峠から雲取山までの奥秩父連山が余すところなく姿を見せていました。v(^_^)v

この日はちょうど城峰山の山開きでした。山頂直下の神社に下ると昼食場所がしつらえてあって、三角おにぎり3個と山菜の弁当、豚汁、おまけに神社からの差し入れとかで清酒1本と至れり尽くせりのもてなしに大満足。

お神楽もあってお祭り気分に溢れてまことにケッコウでしたが時々花火がドカーンと打上げられるのには閉口しました。(x_x)

Jominehana ヤマザクラやミツバツツジも咲いていましたが、ケロケロはどうしても足下の小さな花に目が行ってしまうのでした。(^^;)

次に訪れたのはイチゴ狩りです。

真っ赤に熟れたイチゴを思う存分食べて、古代米の餅つきまで体験できました。

道の駅「龍勢会館」ではキュウリ・シイタケ・漬け物」のお土産をいただきました。

最後に立ち寄った金尾のツツジ山ヤマツツジが満開でした。

これで4000円、足が出ないのかなあ(?_?)

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2006.04.30

花の高尾山

4月18日(火)高尾山に行きました。

健康ハイキングのつもりだったのであまり期待していなかったのですが、思いがけず多くの花々に出会って大満足でした。(^_^)v
平日というのに高尾山口には大勢のハイカーが詰めかけていて、特に小学生の遠足があるらしく数百名が集合していました。
一足お先にと沢沿いの6号路を登りました。沢から離れるところでヤマルリソウの群落を見つけました。これは儲けものと早速パチリ。

Hana1
あとはタチツボスミレとミヤマシキミを見かけた程度でした。!(^^)!
頂上もかなりの人出だったので早々と奥高尾縦走路へ。
このあと全く予期していなかった花、花、花のオンパレードに夢中になって写真を撮りまくりました。

Tutujisakura
ミツバツツジヤマザクラの競演、多種多様な山野草。ついつい時間が経つのを忘れてしまいました。(*^_^*)
高尾山はスミレの種類が多いことで知られています。

Sumire
でもスミレはなかなか見分けるのが難しいですね。
数年前、東京都高尾自然科学博物館でもらった、「自然観察シリーズ1スミレの観察」を参考にしましたが自信はありません。
城山を過ぎ、小仏峠から景信山へ向かうと花が少なくなります。
景信山を超え明王峠で一休み。ここはヤマサクラが満開でした。

Hana2
陣場山から一の尾根を下りました。ヒトリシズカチゴユリがたくさんありました。

Hana3
落合の集落近くではフデリンドウムラサキケマン、キランソウ、ムラサキサギゴケなどの里の花が咲き乱れていました。
落合のバス停まで来たところでちょうどバスが来ました。
これで藤野駅までのだらだら登りの30分を歩かずにすみました。(^O^)
正味歩程:5時間45分でした。
写真を撮ったため、いつもより少々余分に時間がかかりました。(^_^;)

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2006.04.23

鳥取砂丘と足立美術館

鳥取砂丘に行きました。
天気が良く風も弱かったので、ゆっくり見物することが出来ました。(^_^)/
でも鳥取砂丘って、ちょっと広い砂浜なんですね。

Sakyuu
砂の色が茶色っぽいのは、鉄分を含んでいるからでしょうか。
ヤマタノオロチ、アメノムラクモノツルギ、タマハガネ、タタラ製鉄、出雲の阿国
砂鉄からの連想で歴史に思いを馳せるには観光客が多すぎました。
でもケロケロも観光客だったんだ。(^_^;)

Adati1
今回の旅の最大のお目当ては足立美術館でした。
そして期待以上の素晴らしさに感激しました。!(^^)!
借景の山が広大な庭園と渾然一体に溶け込んで、全く違和感がありませんでした。

Adati2
展示品も横山大観をはじめ一級品の日本画ばかりで時間の経つのを忘れるほどでした。
季節に併せて展示品の模様替えが行われるということでした。
四季折々訪れたいところですね。(^_^)

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2006.04.20

天橋立

新大阪からバスで宮津へ向かう舞鶴若狭道の途中で篠突く豪雨となり、どうなることかと心配しましたが、宮津に着いたら晴れ間が見えました。(^_^)v
日頃の行いが大事ですね。(^_-)
丹後国一宮・籠(この)神社は元伊勢神社と言われ伊勢神宮の元宮とか。格式の高い神社なんですねえ。
宮司家に伝わる「海部氏系図」は日本で一番古い系図で国宝に指定されているそうです。

Komainu 社前の狛犬も重文指定の立派なものです。
天正年中、天橋立の松林に出現し、元伊勢(籠神社)詣りの参拝者や通行人を驚かしたので、たまたまこれを聞いた岩見重太郎が、刀で斬りつけたところ石の狛犬の前足が切れて出現が止んだということです。(^O^)

Matanozoki
ケーブルカーで傘松公園まで登り有名な「天橋立股のぞき」を体験しました。この股のぞきを最初にやった人は何と絶世の美女小野小町とか。本当かなあ?(?_?)
でも小野小町のあられもない姿なんぞ想像したくもありませんねえ。幻滅!(^_^;)

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2006.04.10

志木のサクラ3題

埼玉県志木市に宝幢寺というお寺があります。正式には地王山地蔵院寶幢寺といいます。
一説に創建は建武元年(1334)ということですから、歴史のあるお寺といえます。Sidare2

Sidare1
ここのシダレザクラがなかなか見事で、毎年訪れています。
今年は3月26日(シダレザクラ)と4月6日(ベニシダレザクラ)に行きました。
ちょうど満開でした。夜はライトアップされるそうです。

Yanasedote
ソメイヨシノだったら柳瀬川の土手がお奨めです。
志木大橋から高橋までの柳瀬川右岸の土手(約2Km)に130本ほどのソメイヨシノが植えられていて市民の格好のお花見スポットとなっています。
今年は4月2日が満開でした。

Hatazakura_1
もう一つ志木の桜を語るとき長勝院旗桜を挙げないわけにはいかないでしょう。
推定樹齢四百年以上の老木です。
一重咲きの花の雄しべの一部が花弁状に変形した旗弁(というもの)を生ずるヤマザクラの一種です。
4月6日には5分咲きでした。

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2006.03.29

長瀞散歩

宝登山の続きです。下山したが、家に帰るには早すぎます。(^^;)
そこで、先ずは長瀞山不動寺へ。
Hudouji

このお寺は正月7日に七草がゆを振舞う寺としてテレビでたびたび紹介されます。
秋には長瀞七草寺のうち、ナデシコの寺として多くの観光客が訪れるところです。
ところが春には枝垂れ梅の名所でもあったんですね。知らなかった。(^o^)
シダレウメといってもたくさんの品種があるんですね。
まだちょっと早すぎましたが、全部が咲きそろったら見事かも知れません。

次は国指定重要文化財でもある旧新井家住宅の見学です。

Araike
長瀞町郷土資料館の敷地内に保存されています。
特徴は屋根が瓦葺きでなく、栗板葺きで風に飛ばされないように漬物石ぐらいの石で押さえてあることです。(@_@)
瓦は高価で一般人では使えなかったのでしょうか。でも新井家は江戸時代に名主を務めた旧家だったそうです。この地方では名主でも貧しかったのでしょうかねぇ(?_?)

資料館は民具のコーナー、遺跡出土品のコーナー、機織りのコーナーに分かれています。
民具のコーナーにはケロケロが子供時代に目にした懐かしい民具が幾つも展示してありました。
日本も6~70年前までは、まだ貧しかったんだなぁと感慨を新たにしました。(=_=)

次に訪れたのは上長瀞の自然史博物館です。
入り口で入場料100円を出したところ、受付の女性に「おいくつですか。」と尋ねられました。

「七十○歳です。」と答えたところ、「65歳以上は無料です。」

せっかく出した100円玉の行き場がなくなってしまった。(-_-;)
仕方ないので「緑のトラスト」の募金箱に入れました。(^_^;)

何と言っても見ものは地学展示室でしょう。
約3億年まえの地層、2億5千万年まえの海のようす、秩父で採取された様々な鉱石見本など興味のある人にとっては見逃せないものばかりでしょう。
あいにくケロケロは地学には暗いんです。(>_<)
でもすばらしい展示であることは良く分かりました。
鉱石がこんなに美しいものだったとは・・・・。(*^_^*)

巨大ザメのカルカロドン-メガロドン、恐竜のような奇獣パレオパラドキシア(ほ乳類)、アケボノゾウなどの復元標本も一見の価値ありと思いました。

Iwadatami ちょっぴり勉強した気分になって、次は長瀞岩畳です。
河原沿いの遊歩道を歩くと、そこかしこにユキヤナギの白い花が咲いていました。

午後も遅い時間帯でしたから観光客の姿も少なくなってきました。
気温も下がってきました。もう、そろそろ家路についてもいい頃だと、長瀞駅に向かいました。(^_^)/

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2006.03.27

宝登山の梅

春本番、ケロケロも冬眠から醒めて、そろそろ足慣らしの季節になりました。(^o^)
1月5日以来の山歩きですから3か月の空白を考えて軽目のハイキングに出かけました。

行き先はロウバイで有名な秩父の宝登山です。
でも、長瀞駅からではちょっと物足りないので、一つ手前の野上駅から長瀞アルプスという縦走コースを歩くことにしました。
長瀞アルプスといっても、そんな御大層なコースではありません。(^^;)

野上駅から600mぐらい北の万福寺というお寺の前を通り、沢沿いの道を少し登ると尾根上に出ます。あとは南の宝登山へ向かってのんびり歩くだけです。

カタクリニリンソウアズマイチゲなどの山野草を期待していましたが、まだちょっと早過ぎたようでした。(/_;)

途中、氷池への分岐があります。氷池は天然氷の切り出しが冬の秩父の風物詩としてテレビなどで紹介されます。
下り10分登り15分で往復できますが、この時期は干上がったコンクリートの浅いプールがあるだけです。

野上峠小鳥峠と歩き、車道に出て、宝登山の裏登山口に着きました。
ここから標高差200mの丸太の階段を登ります。
このコースの一番の難所?です。(^_-)
一休みし、水分を補給し、キャラメルを2つ口に入れゆっくり登りました。
23分かかって頂上に着きました。(^_^)v

inu
頂上に宝登山神社の奥宮があります。
ここの狛犬は獅子形ではなく山犬形です。
精悍な風貌をしていてケロケロのお気に入りなのです。

baien

ume
ロウバイは盛りを過ぎていましたが、紅梅白梅は見頃でした。

hana フクジュソウも残っていました。あとはキジムシロぐらいですかね。
花木のほうはダンコウバイマンサクミツマタがありました。
展望は春霞にかすんでいました。

甲武信岳・雁坂嶺はぼんやりと、両神山武甲山もすっきりしませんでした。(>_<)
時間が早いので、長瀞の岩畳でも見物しようと山頂を辞しました。(^^)/~~~

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2006.03.24

お彼岸の越生

彼岸の中日、越生へ行きました。何しにって?もちろん墓参です。
越生は知る人ぞ知る梅の里です。
例年ですと一月末にはちらほら咲き始め、彼岸には盛りが過ぎているんですが、今年は寒さで開花が遅れ彼岸にちょうど満開でした。(^o^)
墓参を終えると例によって花を見ながらの町中ウォーキングです。
先ず墓園入り口に植えられたサンシュユです。
ogosehana

冬には赤い実をつけていた枝に黄色い花が満開でした。
もちろん町中至る所に植えられたウメも満開です。
足下には早春の野の花の三役、オオイヌノフグリ・ホトケノザ・ヒメオドリコソウが咲きこぼれたいます。
シロバナカントウタンポポもありました。(^_^)
厚生年金休暇センターで軽く昼食をと思ったら、出てきたカツカレーが超大盛りで全部食べるのはたいへんでした。
何しろ戦中戦後の食糧難時代を経験したケロケロは食べ残しに罪悪感を持つんです。
やっとの思いで全部を胃袋に納めました。フーッ。(^_^;)
観光梅園は観光客であふれかえっていたので敬遠し、駅まで腹ごなしがてらに歩きました。
途中、キブシ、ミツマタ、ユキヤナギ、コヒガンザクラ、レンギョウなどなどの花盛り。
そして何とカタクリが咲いていました。(^_^)v
車が頻繁に通る道路脇の急斜面に、野生のカタクリがぽつぽつと咲いていたのです。
何年も歩いているコースですが、カタクリを見つけたのは初めてのことでした。
やはり自分の足でテクテク歩くといろんな発見があるんですね。(*^_^*)

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2006.03.05

再び宮古島

フェリーで再び宮古島に戻りました。

choucho先ずはみやこパラダイスで昼食をとり、蝶々園薬草ハーブ園を見物しました。

蝶々園はオオゴマダラなどが乱舞する花園です。

薬草ハーブ園も沖縄ならではの珍しい植物がたくさん栽培されているんですが、名前を覚えきれませんでした。(^_^;)

hennasaki 次は島の東南端に突き出た東平安名崎(ひがしへんなざき)です。

荒々しい岩場に打ち寄せる波はやはり沖縄色でした。

灯台に登り地球が丸く見えるという展望を楽しみ、草花の写真を撮りながら散策しました。

最後の目的地は池間島です。

途中、雪塩製塩所に立ち寄りました。世界一ミネラル分の多い塩というギネスブックのお墨付きだそうです。

その訳は、海水の採取方法にあるそうです。

海の中にパイプを敷設するのではなく、工場の敷地をボーリングして地下から海水を採取しているそうです。

なるほど多孔質の珊瑚礁石灰岩の中を浸透する間にカルシウムやマグネシウムを溶かし込んでくるんですね。納得です。

池間島は宮古島の北端から池間大橋で渡ります。

やはり橋の両側に透明なエメラルドグリーンの海が広がっていました。

宮古島をバスでぐるぐる回っていると、たびたびサトウキビを満載したダンプに出会います。

島の主要産業はサトウキビ栽培だそうです。
サトウキビ1トンが約2万円、標準的作付け面積10アール当りの収穫量は7トンだそうです。

すると年収140万円。経費を差し引くと100万円そこそこですね。
生活できるのか心配になりました。

のんびり暮らせていいなあというのは旅行者の考えで、現実は厳しいのではないでしょうか。(-_-)
そんなことを考えながら空港に向かいました。

三日間の慌ただしい旅でしたが、寒さ知らずの楽しい旅でした。

花もいろいろ見ましたが、名前を全部覚えきれなかったのが残念です。(/_;)

hana3  hana2

hana1

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2006.02.26

宮古・伊良部・下地島

宮古島では、ドイツ村のホテルに泊まりました。
宮古島になぜドイツ村かって? それは文末をどうぞ。
翌朝は先ず来間島へ。島と言っても1995年に完成した全長1690mの来間大橋でわたることが出来る小さな島です。橋の下にはエメラルドグリーンの透明な海が広がっています。kurumaoohasi(*^_^*)
小高い竜宮城展望台から対岸の宮古島の真っ白なビーチが一望できます。

次に平良港からフェリーで伊良部島に渡りました。
渡り鳥サシバが羽を休める島としても知られています。

サシバをかたどった大きな展望台があります。
フナウサギバナタ(伊良部の方言で船を見送る岬)と言うそうです。
続いて下地島へ渡ります。と言ってもこの二つの島の間は僅か10数メートルの海峡です。
小さな川を渡るのと同じ感じです。

kuukou下地島には3000メートルの滑走路の空港があります。しかし旅客を扱う空港ではなく、パイロットの訓練場だそうです。何だかもったいないような気がしました。(^O^)
海上に長く延びた誘導路にジャンボが何回も接近して着陸の練習をしていました。

biiti周りの海はそれこそ溜息が出るぐらいの透明で美しい海でした。沖縄の海の美しさを見た、かの岡本太郎氏は「(ひょうげんする)絵の具がない」と嘆かれたそうです。さもありなんとの思いましたね。

tooriike下地島には通り池という奇勝もあります。(^_^)

鍾乳洞の天井が陥没してできた池で神秘的な深い藍色の水をたたえていました。

伊良部島下地島は出来れば一泊して自転車ででもゆっくり楽しみたいところでした。
次回の楽しみにとっておくか。(^_-)

ドイツ村
doitumura 1873(明治6)年、上野村宮国沖でドイツ商船ロベルトソン号が航行中、台風のため座礁、難破しました。当時の村民は荒波の中、危険を顧みず救助に当り乗組員を全員救出しました。
この「博愛美談」に感激した当時のドイツ皇帝ウィルヘルム一は1876(明治9)年に軍艦を派遣、現在の平良市の港近くに「博愛記念碑」を建立させたということです。
2000年にはドイツのシュレーダー首相も訪れたそうです。
ドイツ村は、この歴史的事実を後世に伝え、尚かつ村興しも兼ねてつくられたドイツの街並みをイメージしたテーマパークです。

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2006.02.16

八重山諸島2

次の日は、船で西表島に渡りました。

海は荒れ気味でしたが1時間半ぐらいで西表島の大原港に着きました。

バスに乗って仲間川の遊覧船乗り場へ僅か10分足らず。
遊覧船に乗り換えると、なんと船長さんはバスの運転手さん?(?_?)

両岸にマングローブの密林が続く仲間川を約1時間のクルーズです。mangurob
ところでマングローブって特定の木の名前じゃないって知ってました?

  マングローブという名前やマングローブ科という樹木があるのではなく、熱帯や亜熱帯の河口などに生えている植物を総称してマングローブと言うんだそうです。
  日本では、オヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギ、ヒルギダマシ、ヒルギモドキ、マヤプシキ、サキシマスオウノキ、ニッパヤシなどがマングローブの仲間だそうです。

suounoki

河口から約30分のところに樹齢400年とも言われているサキシマスオウノキがありました。なかなか立派でしょう。(^o^)

河口に戻り、バスで由布島へ向かいました。
島に渡るには水牛車に乗ります。たくさんの水牛が黙々と働いていましたが、中には動くのがやっという感じの水牛もいて可哀想でした。

suigyuu ここは島全体が植物園です。熱帯、亜熱帯の花々が咲いていましたが、何という花か分からないものも多く、植物図鑑を持ってくれば良かったとちょっぴり残念でした。(-_-)

再び大原港から船に乗り、竹富島へ向かいました。
竹富島で水牛車でぐるりと一週のんびり観光です。

台風を防ぐ石垣に囲まれた、赤瓦の低い家々のたたずまいは、これこそ沖縄の原風景といえるのではないでしょうか。

taketomi 石垣に咲き乱れる花の鮮やかさ。

対照的に住む人がいなくなって石垣だけが残っている草ぼうぼうの空き地。考えさせられる風景でもあります。(=_=)

船で20分足らずの石垣島に戻りました。

まだ時間があるので唐人墓を見学。
悲惨な歴史の一幕があったことを初めて知りました。

唐人墓については末尾に書いておきました。興味があったら読んでください。それにしても沖縄の人々は心優しいんですね。(*^_^*)tojinnhaka

空港へ向かう途中、バンナ森林公園の展望台に立ち寄りました。

あいにくの曇り模様ですっきりした展望は得られませんでした。(/_;)

空港に着くと予定の便が機材未到着のため1時間遅れとのこと。

機材って何だ?  飛行機そのものが遅れているらしい。

航空会社がお詫びに1000円分のチケットをくれました。(^o^)

空港内でしか使えないので何か買わなきゃ損だ。

荷物になるのはいやだから、小さいシーサーの置物を買いました。

いま我が家の玄関で、悪いものが入らないよう睨みをきかせています。(^O^)sisa

飛び立った飛行機はすぐに下降をはじめ、宮古島に到着しました。

慌ただしかった島巡りの2日目でした。

唐人墓

16世紀以降、中国人労働者が世界各地に多数送り出されていました。
これは当時、苦力貿易(一種の奴隷貿易)と言われていました。
1852年、廈門(アモイ)の400余人の苦力(クーリー)たちは、米国商船ロバート・バウン号でカリフォルニアに向かう途中、度重なる数々の非人道的暴行を加えられ、遂にたまりかねて反乱を起こし、船長等7人を打ち殺しました。
船は台湾へ向かう途中、たまたま石垣島沖で座礁しました。
乗っていた380人の中国人が島に上陸しました。
八重山の政庁蔵元は仮小屋を建てて、彼らを収容しました。
しかし、米英は軍艦を3回派遣し、砲撃を加え、武装兵を上陸させました。
中国人は山中に逃亡しましたが、銃殺されたり、逮捕されたり、あるいは自殺者が出るなど惨憺たる有様となりました。
琉球王府と蔵元は人道的に対応し、島民も深く同情して、密かに食糧などを運び与えました。
しかし、疫病による病死者も続出しました。
この間、関係国間の事件処理の結果、翌1853年、琉球の護送船2隻で生存者172人を福州に送還することができました。
中国ではこの事件がきっかけとなって、大規模な苦力貿易反対運動が起こりました。
1970年、石垣市は異国の地で無念の最期をとげた人びとの霊魂を合祀慰霊するため、唐人墓を建立することにしました。
そして多くの方々の物心両面にわたる支援により1971年にこの唐人墓が完成しました。

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2006.02.04

八重山諸島1

寒いときは沖縄に限る。と出かけました。

羽田を出たときは好天で富士山、南アルプス、中央アルプス、木曾御嶽山など見えました。
ところが那覇空港で乗り継いで石垣島に着いたら小雨模様(;_;)日本は広い!
早速バスに乗り川平公園へ。

isigaki1 ここではグラスボートサンゴの海の海底見物です。
いろいろなサンゴの間を大小様々な魚が泳ぎまわり、海底には巨大ナマコ、シャコ貝も。

isigaki5 1時間ほどの見物でしたが十分に楽しめました。(^_^)/

次は米原の国指定天然記念物ヤエヤマヤシの群落を見物です。

isigaki4

途中でカンムリワシが羽を休めているところを見ることが出来ました。

これも国指定天然記念物、ラッキー。(^_^)v

でも写真は撮り損ってしまいました。

動くバスの中からじゃ無理ですね。(-_-;)

ヤエヤマヤシの群落の中も薄暗く、写真撮影には適しないところでした。

おまけに「ハブに注意!」の看板がそこかしこにあって、歩道の上しか歩きたくない。(>_<)

休憩所でムラサキイモ餡の饅頭を食べてホテルへ直行しました。(^o^)

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2005.11.06

信州・甲州バスの旅3

車窓の山岳展望
バス旅の楽しみの一つに、車窓からの展望があります。(^o^)
山好きのケロケロにとって、バス車窓からの山岳展望は大きな目的の一つです。
今回のバス旅は、往路が関越道、上信越道、復路が中央道と山岳展望にとっては言うことなしのはずでした。
しかし、第1日目は小雨のそぼ降る出発で、関越道からの日光連山、赤城、榛名などは全く見えませんでした。(>_<)

上信越道の松井田付近にさしかかって、雨が上がり雲が切れてきました。
妙義山の切り立った岩峰群は色づき始めたモミジを纏って荒々しく屹立していました。

佐久平に入ると本来見えるはずの浅間山は雲の中に隠れたまま。(/_;)
とうとう第1日目の山岳展望は不発に終わりました。

kasimayari 期待の第2日目。先ずは宿のすぐ前の河原から鹿島槍ヶ岳が見えました。(^^)
まだ雪が少なく残雪期ほどの迫力はありませんでした。
宿を出発したものの、暖かすぎてまるで春霞状態でした。

南下するバスの車窓から見えるはずの北アルプス連峰は霞のヴェールに閉ざされたまま。
僅かに餓鬼岳、燕岳、大天井岳、常念岳と思われる姿がぼんやりと浮かんでいました。

中央道の諏訪付近まで来ると、八ヶ岳がくっきりと見えました。南端の編笠山から北端の蓼科山までの全山オンパレードでした。(^_^)/

八ヶ岳を過ぎると「ニセ八ヶ岳」と言われる茅が岳が見えます。八ヶ岳をそのまま小さくしたような山容です。(^_-)

天気がすっきりしないので、南アルプスもはっきりしません。甲斐駒ヶ岳から鳳凰山に連なる稜線がシルエット状に見えただけでした。(-_-;)

結局、今回の山岳展望は満足度50%以下という結果に終わりました。

残雪期(=さくらの頃)また行きたくなりました(^o^)

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2005.11.05

信州・甲州バスの旅2

上田城と善光寺にも立ち寄りました。
上田城は、ン十年ぶりでした。昔と違って今は公園として整備されています。
紅葉はやっと色づき始めたところでした。
1583年、真田昌幸が築城した城です。徳川の大軍と2度戦って2度撃退したということです。
uedajou 真田と言えば、真田幸村とともに、猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道などの「真田十勇士」を思い出します。
ケロケロの子供の頃、隣の呉服屋さんに「立川文庫」という講談本がおいてありました。
これを借りてきて夢中になって読んだ記憶があります。
「真田十勇士」は「立川文庫」の中でも特別の大スターでしたね。(^_^)
上田城内に「抜け穴の井戸」があります。背後にそびえる太郎山まで通じる抜け穴だそうです。
徳川軍に十重二十重に包囲されても、この抜け穴を使って兵糧や武具を調達したというのですが本当でしょうか?(?_?)
何はともあれケロケロにとっては子供の頃のロマンを思い出させてくれる名城です。(*^_^*)

2年ぶりに訪れた善光寺山門(三門)の解体修理中でした。(-_-)
山門全体にすっぽりとシートが掛けられていました。
zenkouji ただ扁額はシートの外側に掛けてあるので、見ることができます。
案内のお兄さんの説明によると、この額の「善光寺」という文字の中に、が隠れていると言うのですが、ケロケロにはわかりませんでした。(?_?)
境内を散策していたら、中年の奥さんが「菊花展はどこでやっているんですかねえ。
と問いかけてきました。

ケロケロ「さあ、旅行者なんでわかりません。」
奥さん「遠くから来たんですね。今夜はどこにお泊まり?」
ケロケロ「大町温泉です。」(^^)
奥さん「これから大町まで? 遠いですよ。道はわかりますか?」
ケロケロ「プロの運転手がついているからだいじょうぶです。」(^_-)
奥さん「まあ!タクシーで観光ですか。優雅ですね。羨ましい!」
バスツアーだと言いそびれてしまいました。(^_^;)

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2005.11.03

信州・甲州バスの旅1

SUWAガラスの里
バスツアーで諏訪湖のほとりにある「SUWAガラスの里」に立ち寄りました。
素晴らしいガラス工芸品が展示販売されているところです。
ただし、お値段も結構な金額です。まあ、目の保養のつもりで見学しました。(^_^)
ここで一番感動したのは、直径1メートルぐらいありそうなガラス球です。こんな巨大な球は並大抵の技術では作れません。
材質は光学ガラス(カメラや望遠鏡などのレンズに使う)です。
小さな塵も気泡も入らないように原料を溶解する技術、歪みが入らないように徐冷する技術、真球に研磨する技術のどれをとっても生やさしい技術ではないはずです。
ちょうど通りかかった案内の人に聞いてみました。
「これも売り物ですか。」
「はい。売り物でございます。」
「おいくらですか。」
2億円でございます。」
・?×△◇。(@_@)
ちょっと小遣いが足りないなあ。(^_^;)
年末ジャンボ宝くじでも当たったら買うか。(^o^)

影絵の森美術館
次に訪れたのは昇仙峡の影絵の森美術館です。世界的な影絵の巨匠、藤城清治氏の作品が展示してあります。
時間つぶしのつもりで、あまり期待せずに入ったのですが、幻想的な美しさと
ほのぼのとしたファンタジーにすっかり魅了されてしまいました。(*^_^*)
その他にも日本のゴッホと称される山下清氏展、ゲゲゲの鬼太郎の水木しげる氏展、ふるさと旅情画の安井康二氏展、漫才協団会長のうつみけいこ氏展も開催中でした。(^^)
これだけ見て団体割引料金600円。
おまけに飲み物とお菓子のサービス付きでした。(^o^)
絶対におすすめですよ。(^_^)/

sengataki あんまりゆっくりしすぎて、仙娥の滝を見損なうところだった。

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2005.10.31

北限のみかん

バスツアーではたびたびトイレ休憩があります。(^_^)
今回の最初のトイレ休憩は寄居PAでした。小さなPAで特にどうってことはないんですが、時間をもてあましてうろうろしていたら、隅っこにみかんの木が1本ありました。
説明板によると、寄居町の風布(ふっぷ)地区は日本のみかん産地の北限として有名で、その起源は天正年間に鉢形城主であった北条氏邦が小田原から移植したものだそうです。(@_@)
鉢形城といえば、文明8年(1476年)、長尾景春によって築城された戦国の名城です。
豊臣秀吉の小田原攻めの際、5万以上の豊臣方の軍勢に囲まれ、北条氏邦軍3千5百との間で1か月近くにわたって攻防が繰り広げられました。
寄居町の風布・小林地区には、現在は15軒の農園が点在していて、10月下旬から12月中旬までみかん狩りが楽しめます。紅葉の時期に合わせて行けばベストです。(^^)/
風布川流域の一角、約1ヘクタールに親水公園、水車小屋、風布館(レストハウス)、ホタル・沢ガニ生息地のなどが整備された「日本水の里」があります。
環境庁(現在の環境省)名水百選認定日本武尊伝説の「風布川・日本水(やまとみず)」は切り立った巨岩の下から湧き出ていて、どんな日照りにも涸れないと言われています。

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2005.07.30

道東の旅 その3

renzan

ウトロ港から観光船に乗り、海からの知床半島を楽しみました。
ときどきヒグマも姿を見せると言うことでしたが、この日は休養日だったのでしょう。
でも、前日までと打って変わって快晴。知床連山を心ゆくまで堪能しました。(^_^)/~
kamuitaki

断崖絶壁に「湯の花の滝」「フレベの滝」「カムイワッカの滝」などが懸っていました。
ウトロ港に戻りバスで知床五湖へ。
ネイチャーガイドのさんの案内で一湖と二湖を散策しました。

三、四、五湖はヒグマ情報により閉鎖されていました。残念(/_;)
さんによると
「クマが出るんじゃなくて、クマはいるんです。クマのいるところに我々がお邪魔するんです。」
と言うことでした。妙に納得しました。(-_-;)
niko_yama

湖面に映る知床連山の眺めは素晴らしかったし、まあ、いいとするか。(^o^)

次に「フレベの滝展望台」へと向かいました。「フレベの滝」は一名「乙女の涙」ともいうそうですが、なぜ「乙女の涙」なのかはわかりません。
樹林帯を通り抜けるので、ひょっとしたらヒグマに会えるかもしれないと、
期待と不安を胸に歩きましたが結局、会えませんでした。
残念?良かった?('_')?
sika

でも、エゾシカには会えました。
なかなか顔を上げてくれないので、シャッターチャンスがなく、
あまりいい写真は撮れませんでした。

osinkosin
小清水原生花園に向かう途中に、オシンコシンの滝があります。
流身80mの豪快な滝です。だた、近すぎて全貌がカメラに納まりませんでした。(^O^)
超広角レンズが必要ですね。

知床連山が遠ざかり、斜里岳が優美な姿を見せました。

kisuge
小清水原生花園は花の盛りを過ぎていました。残念!
エゾスカシユリエゾキスゲが少し残っているだけでした。(/_;)

sukasiyuri

飛行機の時間までにはだいぶ余裕があったので、網走のオホ-ツク流氷館に立ち寄りました。
マイナス17度Cの部屋にはいると、南極の氷や、18年前の開館当時の流氷が保存されていて、手で触れてみることもできます。
でも、寒すぎて長居はできません。(^_^;)

クリオネイクオネといった可愛らしい流氷の生物も見ることができます。
大画面による四季のオホ-ツクの映像は迫力がありました。
屋上からの展望もばっちりでした。入館料400円でしたが、一見の価値があります。
女満別空港は便数が少ないからか、食事処が2店しかありませんし、お客が集中して行列ができていました。

お土産になりそうな食べ物は売っていますが、弁当の代わりになりそうなものはありませんでした。
空港に着く前にコンビニで弁当を買っておくことをお勧めしますよ。(^_^)

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2005.07.25

道東の旅 その2

湯川温泉で一泊した翌朝、早朝散歩に出かけました。
ここは阿寒国立公園なんです。
isotutuji お目当ては硫黄山の山麓に広がるイソツツジの大群落です。
道道52号(北海道には県道はありません(^_-))からツツジが原の散策道に入ります。
早朝というのにネイチャーガイドに案内されたグループ数組に出会いました。
エゾイソツツジの盛りは過ぎていましたが、十分に鑑賞に堪えるすばらしさでした。

tesikagahana

その他に路傍にノコギリソウマンテマを見かけましたが、自生のものか、観賞用に植えたものが野生化したものか分かりません。(?_?)


近くに相撲記念館があります。名横綱大鵬の出身地だそうです。
相変わらず天気はどんよりしていました。でも、ここまで来たら摩周湖ですよね。
ホワイトアウトの展望台から「霧の摩周湖」をたっぷり鑑賞することが出来ました。(>_<)
でも、土産物屋さんに野生のリスが数匹現れて、観光客からヒマワリの種をもらって食べていました。

risu しぐさが可愛らしかったですねえ。(*^_^*)
次の目的地は野付半島です。途中、多和平牧場に立ち寄りました。
広大な牧場で、「地平線」が見えるという触れこみでした。
展望台に上ってみると展望図がありました。
そこの展望図に阿寒岳やその他の山々が描いてありました。
「あれっ。地平線が見えるんじゃないの?」
山並みが見えるんだったら地平線とは言わないんじゃないのかなあ。(^O^)
尾岱沼漁港で野付半島のトドワラ行きの観光船に乗りました。
野付湾の水深は浅く、海底に群生しているアマモが見て取れるほどです。
ゴマフアザラシが2、3度顔を出しましたが遠すぎて写真に撮ることが出来ませんでした。トドワラは大きな波が来たら水没しそうなくらいに海面すれすれの砂嘴です。
海水をかぶって立ち枯れした木が乱立した奇観が見られます。

notukehana ここからネイチャーセンターまでの散策は、花花花のオンパレードでした。(^_^)/
写真の他にもノハナショウブ、ハマエンドウ、ヒオウギアヤメ、エゾフウロ、シバナ、エゾシシウド、ウミミドリなどがありました。

turu でも一番の収穫は、タンチョウヅルです。
一面のエゾカンゾウの中で悠々と餌をついばんでいる優雅な姿を写真に納めることが出来ました。v(^_^)v

根室海峡の彼方に薄く島影が見えました。
国後島です。大きな島ですね。

「返せ! 北方領土!」


羅臼町から知床峠をこえるまでは、全くの濃霧の中でした。
楽しみにしていた峠からの羅臼岳の展望はゼロ。(/_;)
でも、峠を越えたとたんに青空が見えました。
根室海峡側とオホーツク海側とでは気象がまるで違うんですね。(@_@)
この日の泊りはウトロ温泉です。

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2005.07.20

道東の旅 その1

関東に棲息しているケロケロには、なじみのない言い方ですが、北海道の東部地方を
道東と言うらしいです。
その道東を少し旅してきました。
先ずは釧路空港から釧路湿原へ。

バスの停留所が展望台になっていて、広大な湿原を展望できるはずだったのです。
がしかし、当日はあいにくの曇り空で霧がかかっていて遠方までは見えませんでした。(/_;)
でも白花のハマナスが咲いていました。
ハマナス」は、もともと「浜梨」だったのがなまって、「ハマナッス」となり「ハマナス」になったと言うことです。(@_@)
次は霧多布湿原。ここにはいろいろな花が咲いていました。v(^_^)v
situgenhana

写真のほかにもトリアシショウマ、ホザキシモツケエゾノシシウド、エゾフウロなどです。

次に、根室から太平洋側へ出て北海道最東端の北方領土が見える納沙布岬へ向かいました。あいにくの天候で歯舞諸島は見えませんでしたが、僅か3.7km隔てた貝殻島はかすかに見えました。nosappu
ここに「北方館」という資料館があります。
古地図、古文書、条約・陳情書・ロシア(旧ソ連)との交渉の記録などを展示しています。「われらの北方領土」という100ページ余の冊子は持ち帰ることができます。
この冊子を読むと問題の深刻さがよく分かります。
かつて清国が英国に奪われた香港を99年後に中国が取り戻したように、気の遠くなるような息の長い交渉が必要なのでしょうか。

この日は弟子屈の湯川温泉泊りです。
途中、風蓮湖にちょっとだけ立ち寄り、一路弟子屈へと向かいました。
車がほとんど通らず、一般道路なのに高速道路なみの快適さとスピードです。
そう言えばだいぶ前に「車より熊が多い。」という発言が国会で問題になったことがありましたね。(^O^)

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2005.07.02

とうきょう散歩3

kinenkan 道路を隔てて国会前庭庭園があります。

洋式庭園・和式庭園となっていますが、西洋式庭園・日本式庭園ときちんと言ってもらわないと、まるでトイレみたいですね。(^_-)

suijunten 洋式庭園の中に「日本水準原点」があります。
日本の標高はここを基準にして決められているそうです。

富士山の標高3776mもここを基準にしているわけです。でもね。

地球は球状ですから、富士山の根っことここは同一平面上にあるのかなあ?(?_?)

難しいことはさておいて腹が減ったので何か口に入れなくっちゃ。
目の前にレストランが。

何はともあれ入ってみると、Bランチが税込み787円。
ヒレカツ3個、ポテトサラダ、野菜、ポタージュスープ、ライスですよ。(@_@)
腹一杯になってこれは安いと思ったら、このレストラン、実は衆議院事務局憲政記念館の食堂だった。(*_*)

これって、税金の補助があるのかなあ? でも納税者だから、ま、いいか。(^_^)

ついでに無料だからというので憲政記念館を見学しました。

あまり真面目には期待してはいなかったんですが、日本の議会制民主主義の歩みを知る上でとても貴重な施設だと思いました。

坂本龍馬から明治維新、帝国議会、軍部の台頭と横暴、戦争への突入、敗戦、戦後の困難と復興など考えさせられる内容のある展示でした。(-_-)

あとは霞ヶ関の官庁街から日比谷公園の中を通り抜け、晴海通りを銀座4丁目へ。
日本一地価が高いという鳩居堂で色紙を買って帰りました。

とにかく疲れた。フーッ。(^^;)

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2005.07.01

とうきょう散歩2

gijidou

食事がダメなら見学は?これが意外とすんなりOK。(^_^)v

「裏へ回って参議院の参観者受付で申し込めば見学できます。」ということでした。
国会議事堂って広いですね。裏に回るのに一汗かいてしまいましたが、
簡単な手続きで見学できることになりました。
このときの見学者はケロケロを含んでたったの4名。

しかもイケメン衛視さんの案内付きです。(^_^)
先ず展示休憩の大広間で旧貴族院の看板、明治天皇の玉座、参議院議員の議席(着席できます)その他の展示物を見て予備知識を仕入れます。
本会議場の傍聴席に座り、国会議事堂の全体の歴史・構造、議場の構造、席割り、衆議院と参議院の共通点と相違点など詳しい説明がありました。
後は議事堂の中を連れ回されて、「ここが委員会室」「ここが○○党の控え室」などと説明を受けましたが、なかなか頭に入りませんでした。(^_^;)
ただ、材料や工法が当時の最高のもので贅を尽くした建物であることは分かりました。
天皇の御休所(ごきゅうしょ)の絨毯、格子天井の装飾画、扉の装飾、シャンデリアなどは当然でしょうが、一般廊下のタイルが大理石のサイコロ(一辺が約2cmの立方体)であるとか、柱が大理石から切り出した1本物であるとか。

その他にもいろいろ説明してもらいましたが、圧倒されて記憶に残りませんでした。(*_*)
議員さん並に赤絨毯を踏むこともできましたし、最後は最高の撮影ポイントまで案内してもらいました。
国会構内の前庭には遊歩道があって、その両側に「都道府県の木」が植えられています。

東京がイチョウ、埼玉がケヤキ、京都がキタヤマスギ、新潟がユキツバキなどなるほどと納得できる木が植えてありました。
ただ宮崎のココスと愛知のハナノキは「・・・ん?」でした。

案内してくださった衛視さんはたいへん親切で感じのいい方でした。(*^_^*)
丁寧にお礼を言って構外へ出ました。

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2005.06.29

とうきょう散歩1

久しぶりに「上京」して、柄にもなく名画鑑賞に行ってきました。
東京メトロの半蔵門駅のすぐ近くに、日本カメラ博物館がありました。
カメラは嫌いじゃないので、ついでにちょっとのぞいてみました。
小さい博物館です。入館者はケロケロと連れ合いの二人だけ。
入館料300円でしたが、けっこう面白く、また懐かしい展示物がたくさんありました。

カメラ好きの方にはおすすめです。(^o^)
さて、英国大使館がある内堀通り北へ行くと右手にお目当ての山種美術館があります。
この日の展示のテーマは「広がりのある風景画」でした。山・海・川・平野・砂漠などを題材に、日本画、洋画の巨匠たちの力作が数多く展示してありました。
一番大きかったのは石田武の「望岳」という作品でした。
山好きのケロケロは阿蘇山を北側から見て描いたものだということがすぐに分かりました。
橋本雅邦、竹内栖鳳、横山大観、川合玉堂、菱田春草、平山郁夫などなど、錚々たる大家の作品を楽しむことが出来ました。(^_^)v
千鳥ヶ淵公園の遊歩道を散策しました。すっかり緑に覆われて少し蒸し暑い感じもありましたが、アジサイの花が見頃でした。

ajisai
ところでアジサイの花って見たことがありますか?「何をバカな!」と思われるかもしれませんが、本当の花を見た人は意外に少ないのではないでしょうか。
普通に花と思っているのは、装飾花で萼片が変化したものだそうです。
球状に盛り上がった装飾花をかき分けて中を見ると、小さい花が見つかりますよ。(^_^)
忍者の頭目服部半蔵ゆかりの半蔵門を見て、あれが国立劇場、これが最高裁判所、次が国会図書館と、お上りさん丸出しで見物し国会議事堂まで来ました。
昼時になったので、ものは試しと 国会の衛視さんに、「国会の中の食堂で食事が出来ますか。」と訊ねたところ、「出来ません。」と、にべもない返事。「納税者だ!」と粘ってみましたが「ダメです。」ということでした。(>_<)

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2005.06.22

みちのくの旅3

begonia1
3日目は花泉町のその名も「花と泉の公園」から始まりました。
ここはボタン、シャクヤク、ベゴニアの花壇や温室があります。
ボタンとシャクヤクの時期は終わっていました。

ベゴニアは年中見られるというのですが、ケロケロはこの手の花には興味がないのです。「やはり野におけ蓮華草」じゃないが、自然界の厳しい条件に耐えて健気に咲く野草が好きなのです。(^^)

hondou kuri
一旦、仙台駅に戻り松島へ。ここで昼食をとりました。

見学は五大堂瑞巌寺です。
50年前に来たはずなんですが、全く記憶にないので拝観料を払って本堂宝物館を見学しました。

禅寺ですから外見のきらびやかさはありませんが、伊達政宗公が62万石の大藩の威信をかけて造営しただけあって、内部の荘厳さは素晴らしいの一言に尽きます。(^_^)v
ただし、内部は撮影禁止。宝物館の重宝の数々にも圧倒される思いでした。

matusima
次はいよいよ松島観光です。

50年前に松島巡り観光船があったかどうかは分かりませんが、あったとしても無銭旅行同然の学生の身分では、乗れなかったと思います。(^_^;)
そこで考えたのが、どこか高いところから松島を見下ろそうということ。

地図を頼りに富山という低い山に登って松島湾に点在する島々を俯瞰した記憶があります。
今回は富山に登る時間がないので、観光船に乗って塩釜に向かいました。

約50分のクルージングです。芭蕉が見物したコースを回るという「芭蕉コース」を巡航して塩釜港に着きました。

siogama
塩釜と言えば当然、奥州一宮「鹽竈神社」です。

ここも長い石段を上った記憶以外は何も覚えていません。

「へぇー、こんな神社だったのか」樹齢800年の御神木と厩にいた神馬の優しい目が印象に残りました。

これで、駆け足3日のみちのくの旅は終わりました。
仙台駅に戻り新幹線を待つわずかの間に土産物を買い込みました。

当然、自分用の牛タンも忘れませんでした。(^_-)

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2005.06.19

みちのくの旅2

keiryuu8 keiryuu9
朝早く宿を出て、バスで奥入瀬渓流へと向かいました。
前日の雨で洗われた新緑は一段とみずみずしさを増し、流れの水量も豊かでした。

taki

taki2

両岸に懸かる滝にはそれぞれ白布の滝千筋の滝玉垂れの滝姉妹の滝、雲居の滝などと名付けられていますが、小さいものばかりであまり見応えのあるものはありません。

ただただ名付けた人の想像力の豊かさには感心させられました。(^O^)
「筆舌に尽くしがたい。」という表現がありますが、奥入瀬渓流が期待どおりだったかというと少し?です。

渓流沿いに自動車が通れる道路があって雰囲気を壊している。
もっとも半世紀前と様変わりしていても仕方がないことですけどね。(-_-;)
でも決して気に入らなかった訳じゃないんですよ。

新緑の奥入瀬にぴったりの俳句があります。

  おちこちに 滝の音聞く 若葉かな  与謝蕪村

otome
十和田湖畔に戻って、有名な高村光太郎作「乙女の像」を見にに行きました。
これが「おとめ」か? 「ふとめ」じゃないか? という感じがしないでもない。(^^;)

「秋田美人」というドライブインで昼食をとりました。

秋田美人が大勢で出迎えてくれるというふれこみでした。

期待に胸をふくらませて行ったところ、昔の美人・古乙女たちが出迎えてくれました。(^_^)/

hatimanhana

次の観光地は八幡平の大沼です。大沼とはいうものの1周2~30分程度の小さい池です。
でも、期待以上に多くの花々が咲いていました。
写真に一部を紹介します。この他にもミズバショウコミヤマカタバミコイワカガミマイズルソウタムシバなどが咲いていました。
もっとゆっくり歩きたいところですね。

tatuko2

この日の最後の立ち寄りは田沢湖です。新緑に埋め尽くされた国道341号をひたすら走り、辰子姫にご面会です。金色に輝く辰子姫像と湖の彼方に秀麗な姿の秋田駒ヶ岳を見て今宵の宿へ向かいました。

泊ったのは雫石のPホテルです。ところがこのホテル、全く腹が立つホテルでした。
山の中なので誘い込んだ客は逃げっこないとでも言うのでしょうか。

夕食のバイキングがなんと4000円。その他、何もかも高い高い。ボッタクリ状態。

部屋にお茶のサービスがなく、長い廊下を歩いて建物の端までお茶を汲みに行かなければならない。

このお茶がまずいの何のって、いくら無料でもひどいんじゃない?
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いじゃないが、こうなると何から何まで八つ当たりしたくなる。

ま、2度と泊りたくないホテルでしたね(×_×)

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2005.06.16

みちのくの旅1

みちのく3日間の旅に行ってきました。
新聞社の長期愛読者優待ツアーという企画にとびついたんですが、
後でよくよく考えたら決して安くなかった。(-_-;)

genbikei

第一日目は新幹線で仙台へ。仙台駅前に待機していたバスに乗り継いで、先ずは厳美渓へ行きました。

30年ぐらい前に行ったことがありますが、今回大きく変わっていたのは、外国人観光客、特に中国人の多さでした。

渓谷をバックに写真を撮っていた若い二人に「シャッターを押してあげましょうか」と言ったら、にこにこして差し出したカメラがキャノンのデジカメでした。

カメラに向かってピースするのも日本の若者と全く同じでした。

「ありがとう」と言いたかったんでしょうが、「あ・・・と・・」としか聞き取れませんでした。

発音しにくいんでしょうかね。(^_^)

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お次は中尊寺。ここも3度目ですが、もうすっかり記憶が薄れていたので、拝観料を払って、金色堂や讃衡蔵(宝物館)を見学しました。

さすがに栄華を誇った奥州藤原氏の遺宝の数々は見応えのあるものでした。

そしてここも中国人の観光客が大勢いました。中国語のガイドが欲しいところですね。(^_-)写真は正確には金色堂ではなく覆い堂です。金色堂は撮影禁止(^^;)

後は東北道を北へ北へとひた走りです。アカシアナナカマドの花が真っ盛りでした。
きっとミツバチ達は大忙しの季節なんでしょうね。(^O^)
小坂ICで高速を降り、樹海ラインを十和田へ。

この樹海ラインの新緑は文句なしのすばらしさでした。柔らかな緑の間に、ナナカマドアカシアホウノキイワガラミなどの白い花が点々と咲き、薄いピンクのタニウツギが彩りを添えて、本当に「すごい」「すばらしい」「きれい」の連発でした。

kenzakai

発荷峠を下って秋田県と青森県の県境にあるホテルに泊まりました。

県境は神田川という小さな流れで、両国橋という橋の上を行ったり来たりすると両県を行き来することになるわけです。

でも橋の真ん中には線が引いてなかった。(?_?)

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2005.05.26

養老の滝

taki1
ケロケロの同窓会が岐阜県の養老でありました。
エーッ、養老ってどこ?どうやっていくの?
困ったときのインターネットって訳で、地図と時刻表を調べたら、どうにか見当がつきました。
 せっかく遠くまで行くんだから、養老の滝ぐらいは見物しなくちゃ交通費がもったいない。

少し早めに家を出て新幹線のぞみで出発しました。名古屋から近鉄線、桑名から近鉄養老線というローカル線に乗り換え。これが何とものんびりと走る電車でしたね。
小一時間かかって養老駅に着くと降りたのはケロケロだけでした。(^_^)
全く人通りのない道を国土地理院のサイトからダウンロードした地形図を頼りに歩きました。子供の国とか養老天命反転地とか楽市楽座などという観光施設を素通りして、松風で川の左岸に渡って左へ行くと養老寺という小さなお寺がありました。

天平時代以前の開基という古刹だそうです。国指定重要文化財の十一面千手観音立像はじめ数々の文化財が所蔵されているそうですが、とてもそのようには見えない小さなお寺でした。寺の裏手に孝子源丞内の墓がありました。

源丞内といえばその伝説を小学時代に修身の教科書で教わった記憶があります。(古い!(^_^;))  源丞内が老父を養ったことを賞して年号を養老と改元したという話でしたね。

少し先に「ふるさと会館」という資料館がありました。ここに源丞内の逸話の詳しい説明があります。この辺までくると観光客がぽつぽつと現れて少しは観光地らしくなりました。

さらに上ると養老神社があります。かなり急な石段があります。境内には清水が滾々と湧いています。孝子源丞内が汲んだら酒になったという霊泉です。元正天皇(女帝)が浴したら肌が若返り黒髪が艶やかになったとかいいますから、女性の皆さんに人気があるのかなと思いましたが、ポリタンクに水を汲んでいたのはおじさんでした。(^_-)

万代橋で右岸に渡って、少し上ったところにお目当ての養老の滝があります。まぶしいばかりの新緑の中に垂直に落ちる流身30mほどの滝です。 (小さい写真をクリックしてみてください)

帰りは右岸を下りました。途中の妙見堂にも立ち寄ってみました。この付近は秋には紅葉がいいのではないでしょうか。松風橋まで下って、東海自然歩道を南へ歩きました。道標が完備されているし、2万5千分の1の地形図と磁石があれば問題なく歩けるハイキングコースです。小倉谷という川の左岸に赤岩神社という小さい神社がありました。道標にずっと社名が書いてあったので有名な神社らしいですが肝心の現地に説明板などがないのでどんな由緒があるのかわかりません。

ここからはウノハナが咲く左岸の道をのんびり下りました。あまり早く宿につくと時間をもてあましそうですからね。
宿はグリーンハイツ養老という国民年金の保養所です。ここも年金で建てられて赤字経営なのかなあ等と余計な心配をしたくなりました。
  集まった同期は8名。15名中8名ですから辛うじて半数以上というわけです。
何年か前までは、不参加の理由は仕事だったのですが、今や健康状態が主な不参加理由になってしまいました。 やはり年ですね。(-_-;)
来年になったら何人参加できるか気がかりです。何しろ来年の幹事はケロケロが仰せつかったのですから。(^_^)/

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2005.04.21

花・花・人・人のハイキング

深夜放送で山好きで知られるミナミランボウさんが「今の時期は低山の花が一番美しい時期だ」というようなことを話していました。
「それはそうだ」と4月17日日曜日に山支度をして東武東上線の小川町駅へ。
ところが駅に着いたら大勢のハイカーでごった返していました。
何とこの日は、東武鉄道主催の「外秩父七峰縦走ハイキング大会」の当日だったのです。

参加したハイカーは無慮5000人(一説には8000人とも)。

いやはやたいへんな混雑でした。
「しまった」と思ってももはや後の祭り。
引き返すわけにもいかないので、急遽予定変更です。
ピストン輸送している臨時バスに乗って、取り敢えず白石車庫まで行きました。
 縦走参加のハイカーをやり過ごすために、おにぎりを一つ食べ、トイレを済ませてゆっくりと白石峠を目指して出発しました。
 なるほどこの時期の山里は美しい。色とりどりの花が咲き競っていました。

sanson
サクラ・ハナモモ・レンギョウ・ミツバツツジ・モクレン・シデコブシ・ヤマブキ等々です。
足元にも負けじと山野草が咲き乱れています。

キケマン・ムラサキケマン・タチツボスミレなど。
雑草として十把一絡げにされそうなカキドオシ・ホトケノザ・ヒメオドリコソウ・オオイヌノフグリ・ナズナ・ハコベも精一杯自己主張していました。
道が樹林帯に入るとさすがに花は少なくなります。そして沢を離れ山道にさしかかったところに、カタクリ・ニリンソウが顔を見せました。
白石峠で一息入れ、縦走組と別れて車道を高篠峠を経て丸山へと向かいました。
 ダンコウバイ・キブシ・ヤマブキなどを見て、山道の入口までは一投足です。
 急な丸太の階段を登り終えると、大野峠からの道を合わせて、丸山展望台まではのんびり歩いても20分です。
 この日は春霞で奥武蔵随一を誇る展望も全く得られず、食事を済ませると早々に下山しました。

hana
下りもまた花花花です。 登りには見ることが出来なかったヒトリシズカ・エイザンスミレを見つけました。
芦ヶ久保に下ると、国道299号は車で渋滞していました。道の駅も大賑わいのようでした。
時間がたっぷりあるので、このまま帰るのは勿体ないと、秩父の羊山公園にシバザクラシダレザクラを見に行くことにしました。
 西武秩父駅も観光客が溢れそうでした。羊山公園までの道も、人の列が途切れなく続いていました。
シバザクラの丘もシダレザクラの広場も人人人です。
いささかうんざりして、早々に退散することにしました。
帰りの電車も満員でしたが幸いに座ることが出来ました。
山に疲れず、人に疲れた一日でした。フーッ

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2005.04.09

身延・三嶋大社の桜

山梨県身延町のシダレザクラを見に行きました。
4月5日、またとない好天に恵まれ、富士山、南アルプス、八ヶ岳、奥秩父などを眺めながら中央道を走り甲府南ICまで。
山好きにはこたえられない眺めでした。(^_^)/
甲府で桜豚のしゃぶしゃぶで昼食し、富士川に沿って南下すると、
あちこちにシダレザクラが目立つようになりました。

sidare
身延山久遠寺は日蓮宗の総本山です。
ここの「樹齢ん百年」のシダレザクラがお目当てです。
7~8分咲きでしたが、十分に観賞に堪える見事さでした。
残念だったのは、時間の関係でロープウエイで身延山頂まで行けなかったことです。
残雪期に南アルプスの前衛の山「笊が岳」に登ったのは、40年以上昔です。
身延はその時以来ですから、身延山頂から笊が岳や白根北岳の雄姿を眺めたかったのですが。(/_;)
気を取り直して、更に南へ。東名に出て、沼津から三嶋大社を目ざしました。
そびえ立つ巨大な富士山を見ながらひた走り、夕暮れ前に三嶋大社に着きました。

misima
ちょうど桜祭りをやっていたようで、屋台など出て賑わっていました。
池の周りのしだれ桜やオオシマザクラが満開で、ソメイヨシノも5~6分咲きでした。
前半は山、後半は桜の一日でした(^_^)v

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2005.04.02

カタクリ

ogawa

4月1日、埼玉県小川町のカタクリを見に行きました。花は5~7分咲きでした。
見どころは3か所あります。
1番目はカタクリとオオムラサキの林です。
カタクリはせいぜい5分咲きでした。
ここで見逃せないのは展示館です。
小さい展示館ですが、国の蝶オオムラサキをはじめ日本や
世界の珍しい蝶、クワガタ、カブトムシ、セミなどの標本が展示してあります。
(入場無料)
2番目は西光寺の裏山です。遊歩道が整備されていて、
山の斜面に咲くカタクリを観賞しながら軽いハイキングです。
3番目がカタクリとニリンソウの群生地です。
山の斜面一面に、カタクリが咲き詰め、一番見応えがあります。
ここにはニリンソウ、アズマイチゲ、ジロボウエンゴサク、
セントウソウ
なども咲いていました。
ここで弁当開きをして、ゆっくり観賞しました。
この少し先で槻川を渡り、大聖寺に行きました。
高台にある名刹です。
展望がよく、一息入れるのに良いところです。
大聖寺から下ってツクシを摘みながら、伝統工芸館へと向かい
ました。
伝統的技法と後継者の育成のために作られた施設で、館内には
埼玉の伝統工芸品が常時展示されています。
手漉き和紙など、さまざまな伝統工芸の手作り体験ができます。
(入館料300円)
ここから駅まで2キロ弱ですから歩くも良し、バスもあります。

コース:小川町駅-円城寺-和紙資料館-龍谷薬師堂-カタクリとオオムラサキの林-西光寺-カタクリとニリンソウの里-大聖寺-伝統工芸館-小川町駅

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桜のシーズン到来

ケロケロもそろそろ冬眠から覚めて、花見に浮かれる季節となりました。(^_^)/
とは言っても、あまり遠くまで出かけるのはおっくうです。
というわけで去年行った桜の名所を2か所紹介します。
場所は埼玉県志木市。

hatazakura

チョウショウインハタザクラ(長勝院旗桜)
目通り樹周り(目の高さ位の所の樹の周囲)
305cm、高さ1120cm。
推定樹齢四百年以上のハタザクラ。
花は大きく、一重咲きの花に雄しべの一部が花弁状に変わった旗弁を生ずるヤマザクラの一種です。
ちょうど旗を立てているように見えることからハタザクラと名付けられました。
長勝院は昔この地にあった寺院ですが、詳しいことは分かりません。
新編武蔵風土記稿にも、「開山開基も何の頃の人なりや詳ならず」とあります。
平安時代には四面長者長勝の館だったともいわれ、木曽義仲の子孫の豪族大石氏が室町中期に造った柏城があったところとも言われています。

sidare

宝幢寺の枝垂れ桜
宝幢寺は志木でも大きな寺の一つですが、開山開基については定説がないようです。
「新編武蔵風土記稿」によれば、いつ創建されたかはっきりしないが、古い寺であることは間違いない。
三代将軍家光が鷹狩りの際休息したのが機縁となって、
慶安元年(1648)に御朱印地十石を賜ったということです。 
なお、この寺には、「お地蔵さんとカッパ」という伝説や「ほっぺたの黒いお地蔵さん」
という伝説などが伝わっています。境内に可愛い河童の石像があります。

ume


また、桜だけでなくここの白梅も見事なものです。

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2005.03.29

雪割草

yukiwari
3月24日、新潟県刈羽郡西山町に雪割草を見に行きました。
雪割草といっても、サクラソウ科のユキワリソウではなく、キンポウゲ科のミスミソウ、スハマソウです。
新潟ではなぜかミスミソウ(三角草)・スハマソウ(州浜草)の
ことをユキワリソウって言うんです。
雪が融けると真っ先に花を咲かせるからでしょうか。
ところでケロケロにはミスミソウスハマソウの区別がつかないんです。
葉がとがり気味で三角形のものがミスミソウで、やや丸みを帯びているものがスハマソウだろうと勝手に決めつけています。
この日は願ってもない快晴の一日でした。関越道を一路北に向かうと、赤城山、榛名山、上州武尊山がたっぷりの雪をまとった
雄姿を見せていました。何よりも素晴らしかったのは、谷川岳
耳二つ(とまの耳・おきの耳)が抜けるような青空をバックにくっきりと見られたことです。山好きのケロケロには最高の眺めでした。
関越トンネルを抜けると、そこは日本有数の豪雪地帯の名に
恥じず、一面の白、白、白。
ところが北陸道に入ると、雪が全然なく陽光がさんさんと降りそそいでいました。
目的のユキワリソウは日本海の海岸沿いを走る国道352号線のすぐ近くにあります。
丘陵地帯に自生するミスミソウ、スハマソウの群落を地元の方が保護していらっしゃるんです。遊歩道が整備されて左右に咲き
乱れる花々を観賞しながら歩けます。
ミスミソウ、スハマソウは個体差が大きく、花弁(実は萼)の枚数、花や葉の大きさ、色が多様でぜんぜん別の花じゃないかと思うくらいです。
今年は花の咲き方が例年より遅く、やっと5分咲きでしたが、十分に楽しめました。
ショウジョウバカマ(猩々袴)やキクザキイチゲ(菊咲一華)などは咲いていませんでした。残念!

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2005.03.01

片仮名市名

南セントレア市が合併反対の住民投票とともに幻に終わりましたね。
やはり市の名前としてセントレアというバタくさい名前は性分に合わないという住民の意識が示されたのでしょう。
ところで中央アルプス市も合併そのものが成立せず、これも幻と化してしまいました。
カタカナの用法は
1.外国語の表記
2.外国の人名・地名の表記(中国・朝鮮・韓国を除く)
3.動植物名(学術用語として)
4.擬音語・擬態語・感動詞(特に強調するとき)
が主なものでしょう。
だから市名としてセントレアが日本の地名としてしっくりしないというのもうなずけます。
しかし、たった一つだけカタカナ市名の南アルプス市が存在します。
実は私は南アルプス市という市名にも少々違和感があります。
やはり日本の地名らしくないという感じがします。
私は南アルプス大好き人間なのです。
若い頃(50年近く昔)、衣食住一式(35~40kg)を背負って、
南アルプスの山中を、尾根を独りで歩き回っていました。
今でも甲府盆地の一角に立って展望を楽しもうとするとき、真っ先に南アルプスに目が行きます。
富士山は眼中にないのです。
甲斐駒から光岳までの延々と続く峰々をゆっくり眺めた後で、
「ああ、富士山見えているな。」という感じです。
ですから地元の人が南アルプスを誇りに思って、それに因んだ市名を付けたいという
気持ちは良く分かります。
それでもやはりしっくりしない。
せめて南あるぷす市と平仮名表記にしていたら違和感がなかったのではないかと
思います。
しかし時の流れでカタカナ地名があちこちに誕生するようになれば、やがて私の違和感もなくなっていくことでしょう。
蛇足ですが某テレビ局が南アルプス市を紹介したとき、画面に流した雪山は
南アルプスではありませんでした。
権現岳・阿弥陀岳・赤岳・横岳からなる八ヶ岳連峰でした。
南アルプス市からは南アルプスは近すぎてあまり良く見えないのです。

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2005.02.23

宝登山

roubai
冬の花「ロウバイ」を見に、秩父の宝登山に行ってきました。
秩父鉄道を長瀞駅で降りると、西武鉄道・秩父鉄道共催の
ハイキング会の受付をやっていました。
先ず西武鉄道受付で健康飲料500mlを貰い、次に秩父鉄道受付で抽選会に
チャレンジ。
hukuju
屋形船乗船券、温泉施設一日券またはロウバイの苗木1本の
いずれかが当たるかもというもの。
これがなんと、これがカランカランと大当たり(^o^)幸先よくロウバイの苗木を貰って出発。
心配していた雪もほとんど融けていて歩きやすく、ゆっくり歩いて、55分で ロープウェイ山頂駅に到着しました。

komainu

ここから山頂まではロウバイ、白梅、紅梅を観賞しながら約10分です。
山頂には宝登山神社の奧社が鎮座ましまして、多くの人が参詣していました。私は神様より狛犬に興味があります。
ここの狛犬は「山犬型もしくは狼型」と言われるタイプで、通常の獅子型とは違って迫力があります。
ロウバイは真っ盛りをちょっと過ぎた程度で、十分に観賞に堪えるものでした。フクジュソウも見頃でした。

asama

しかし何よりのおすすめは、展望です。まっ白な浅間山が噴煙を上げていました。
怪異な山容の両神山と石灰石採掘で満身創痍の武甲山の間に、秩父連峰が連なります。
十文字峠・三宝山・甲武信岳・木賊山・破風山・雁坂嶺・雁坂峠・和名倉山・飛竜山・
雲取山と続く山並みの展望を十分に堪能しました。(^_^)/

ryoukami
長瀞で名物の「おっきりこみうどん」を食しようとあちこち覗いてみましたが、どこも満員でした。残念ながら次の機会にしました。駅前で暖かい日本茶のサービスがありました。
久しぶりのハイキングだったので、少し疲れて電車の中でうとうとしました。
これがいけなかったらしく、猛烈な風邪に10日間も悩まされる結果となりました。(/_;)

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2005.02.07

越生3

houonji
澁澤平九郎の胴は全洞院に埋葬されていますが、首は報恩寺に埋葬されています。
報恩寺は越生駅を出た真っ直ぐの通りの突きあたりにあります。
七福神は恵比須さま。

法恩寺は天平十年(738)僧行基が開基したと伝えられる格式の高い寺です。

その後、幾たびか修築を重ねてきましたが、保元平治の乱(1156~1159)の戦禍で荒廃してしまいました。

建久元年(1190)に源頼朝は越生次郎家行に命じて堂塔を建立させ八町四方の寺領与え、源家の繁栄の祈祷所に定めました。

天正十九年(1591)には徳川家康から寺領二十石を賜り、さらに寛永十六年(1639))には兵火によって焼失していた客殿を再建して、新義真言十一箇檀林の格式を持つ密教道場となりました。

明治三十四年(1901)の火災で鐘楼、山門のみ残して焼失してしまいましたが、大正十二年(1923)本堂を建立。
昭和にかけて客殿・庫裡等の諸堂を整えました。

国指定重要文化財の釈迦三尊像・高野丹生明王像など多くの寺宝を有しています。

kubiduka
平九郎の埋首碑は、山門をくぐって左側の墓地の手前にあります。
碑の裏面に次のような一文が刻まれています。

明治戊辰の年五月二十三日、振武軍は義を唱えて奮戦遂に衆寡敵せず、飯能天覧山山麓に敗る。

参謀渋澤平九郎ひとり黒山に到り、藝藩の諸兵に遭遇、両三を屠り、従容として自決す。

享年僅かに二十有二。その胴体は全洞院に葬られ、首級は別に梟されしが、里人これを憐愍み、密かに報恩寺に埋葬す。

すなわち此の地にして、後日お首さまと稱されて郷人の信仰を厚くせり。

平九郎名は昌忠、尾高惇忠の末弟にして、武蔵國下手計村に生まる。

渋澤榮一の渡欧に際して、その見立養子となり、克く責を果たすと共に、栄一大成の淵源をなせり。

平九郎の如き、真に節に死したる文武両道の傑士というべく、卓然たる志士の風格は後世の範となすに足る。

今茲同志相謀り、埋首の碑を建てて、英霊を慰むると共に、その史實を後昆に傳えむとす文を、余に依嘱せらるるに當り、便を述ぶること此の如し。

昭和三十九甲辰年秋 建之 埼玉縣文化財専門調査委員 山口平八撰書

句読点はケロケロが勝手につけました。判読しがたいところもありましたが、だいたい間違いはないと思います。
1月29日、越生に行きました。暖かくうららかな一日でした。梅もそろそろ3分咲きといったところでした。

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2005.01.19

越生2

zendouin
jiketu
全洞院は曹洞宗の寺で七福神は布袋尊を祀っています。
この寺には近くで自刃した渋沢平九郎の墓があります。
平九郎は大里郡八基村に生まれ、実業家渋沢栄一の養子となりました。
戊辰戦争では彰義隊に属し後、振武軍を組織し、飯能市羅漢山(天覧山)に拠って官軍と戦いましたが
敗れて故郷下手針村(現、深谷市)に逃れようとしました。
途中、顔振峠の茶屋の主人に落人姿では危ないと言われたため、百姓姿に身を変え
黒山に入りました。
しかし、ここで官軍に発見されてしまいました。
渋沢平九郎は傷つきながらも隠し持っていた小刀で抵抗しましたが、多勢に無勢。
利あらずと悟った平九郎は、近くの大岩に座して自刃して果てました。
22歳でした。首は官軍によって越生にさらされました。
胴体は村人の手により全洞院に葬られ、「ダッソ様」(脱走様)と呼ばれました。
なお、岩の脇のグミの木は平九郎の血を吸ったため、その実は平九郎の血を宿すと
言われ、「平九郎グミ」と呼ばれています。

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2005.01.07

越生

doukanhakasanmon
1月7日、越生に行って来ました。越生は「おごせ」と読みます。
難読地名の雄ではないでしょうか。
越生の梅園はけっこう有名です。シーズンにはツアーのバスが立ち寄り、観光客で賑わいます。
でも正月のこの時期には、まだ気の早い梅がちらほら咲き始めた程度でした。
今年は1月9日に東武鉄道主催の「越生七福神めぐりハイキング」が催されます。
無慮数千人というのはやや大げさですが、千人規模のハイカーが参加して、里山に点在する古寺巡りを楽しみます。
私は混雑が嫌いな質ですから、毎年この日を避けて歩きます。
一番のお気に入りは、龍穏寺です。七福神は毘沙門天です。
江戸城を築城した太田道灌とその父道真の墓があります。
寺の歴史は古く、15世紀前半、将軍足利義教の命で創建されたと伝えられています。
その後、兵火にかかり、文明四年(1472)に太田道真、道灌親子によって再建されました。
さらに宝暦二年(1752)火災によって堂塔を焼失し、天保十二年(1842)に再建。
大正二年(1927)の火災によって、山門、経蔵、熊野社を残して全焼しました。
現在ある本堂は戦後再建されたものです。
太田道灌は築城の名手で、江戸城の他、川越城、岩槻城、鉢形城の修築も手がけ、関東の勇将として活躍しましたが、文明十八年(1486)神奈川伊勢原市で暗殺されました。
突然の雨で立ち寄った賤の屋の少女に、雨具を貸してくれと頼んだところ
「七重八重 花は咲けども 山吹の 実の(蓑)一つだに なきぞかなしき」
と言って断られたという言い伝えは有名です。

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2004.12.14

能登2

hasi能登2
和倉温泉に一泊して輪島に行きました。
先ずは漆器工芸館で漆塗りの工程を見学。
高級品になると完成までに124工程もあると言うことで、ただただびっくり。高いわけですね。
ン百万円もする高級家具など買えるはずもないし、買っても置くところがない。(^_^;)
手頃なものはないかと見て回っていると、ありました。
5本組の小さいコーヒースプーンです。
予算よりちょっぴり高めでしたが、思い切って買ってしまいました。(*^_^*)
あとは塗り箸。これもピンからキリまでですね。
300円ぐらいから数千円のものまであります。
少し贅沢して、そこそこのものに決めました。
あまり長居すると、もっと買いたくなるので、ここを後にして有名な輪島朝市へ行きました。
たいへんな人出で混雑の中、人をかき分けるようにして見て回りました。
立派な店構えもあれば、おばあさんが僅かばかりの農産物や手作りの漬物などを並べている店もありました。
一泊二日の小さな旅でしたが、けっこう楽しめました。
ただひとつの心残りは、雨晴海岸からの新雪の立山連峰が見られなかったことです。
まあ、次のお楽しみということにしておきましょう。(^o^)

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2004.11.30

能登1

zuiryuuji.jpg
能登に行って来ました。
お目当ての一つは,能登のとば口にある高岡市の瑞龍寺(国宝)です。
まず驚いたのがその豪壮な構え。
総門・山門・仏殿・法堂を一直線に配列し,左右に禅堂と大庫裏を置き,四周を回廊で結んだ整然とした伽藍構成になっています。
しかし,さらに驚いたのは,この寺が必ずしも仏道修行の寺でも,先祖供養の寺でもなかったと言うことです。
加賀藩は初代前田利家公が豊臣秀吉と親交があったことから,徳川幕府にとっては好ましくない存在だったのでしょう。
折あらば取りつぶそうと虎視眈々と狙っていたいたものと思われます。
歴代前田藩主も,叛意のないことを示そうと贅沢三昧を尽くし,軟弱暗愚な藩主を演じていたそうです。
その一方で,戦いの準備もおさおさ怠りなく進めていたようで,この寺も城塞としての性格を持っています。
昔は四囲に二重の堀をめぐらし,いざという時には金沢を守る前線基地として使用できる構造になっていたようです。
国宝の仏殿の屋根は鉛の板で葺いてあり,戦いとなった暁には弾丸の材料にするつもりだったとも伝えられています。

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2004.10.16

彩の国

ひところ埼玉はダサイタマといわれていました。
これに反発したのでしょうか、最近は盛んに「彩の国」という造語が使われています。
もっとも、埼玉県内だけかも知れませんね。(^^;)
県の広報誌や、メールマガジンでもよくお目にかかります。
でも、私には「彩」というのが、埼玉のイメージと、どうもしっくりこないんです。
埼玉県はもともと武蔵の国。西に連なる秩父山地に源を発する荒川が育んだ肥沃な平野。
彩り鮮やかな派手さはないものの、しっかり大地に根を張った堅実なイメージがあります。
埼玉の県名発祥の地は、行田市の埼玉(さきたま)と言われています。
埼玉古墳群の近く埼玉に位置する前玉(さきたま)神社古墳がそもそもの地名起源の地と言うことです。
小学館:全訳例解古語辞典 によると、「さき」は「幸」さいわい、幸福。
「たま」は「霊、魂」だとすると、「さきたま」は「幸せをもたらす精霊」と考えることができます。
「彩の国」より「さきの国」とした方がよかったのでは?
「さき」には「先端」の意味もありますからね。(^_-)

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